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11月12日 18:19

ここ最近の感じたあれこれを盛り込んだら長文になってしまいました。(お時間つくってぜひご一読ください)

日曜の午前中を早起きして用瀬へ。
シーサー広場の日曜日へ遊びに行くのが目的。ついでに用瀬のあちこちで出店される店々をのぞいてきました。
シーサー広場に着いてみるとそこには大きな商売がしたい的なことより街の風景を作りたいという気概のある人びとが集っていて、もはや広場はひとつの街角でした。あんな街なら住みたいなと思いながら出店者と他のお客さんたちと言葉を交わす広場の心地よさ。...
いろんなイベントで顔を合わせる方があちこちにいらっしゃって、もちろん好きで足を運んでくださるのだと本当にありがたいことだなぁと思うののですが、それ以上に街を、この鳥取というローカルをしっかり選んで使っていこう、足元にお金を置いていこうというお気持ちを感じ取れて嬉しいし、出店する側としては背筋が伸びるようないい緊張感も与えてもらっている気がしています。
住みたい街を作る、という消費の仕方がもしあるのなら金額の大小ではなくこういうことだなと。
意思のあるお金の使い方、顔の見える人に手渡すこと、受け取ること。ときに売り手と買い手が入れ替わりまた交換していくこと。見つけて、味わって、認めて(評価して)、それを大げさではなく実寸大で褒めること。伝えること。街を彩る人々を育てていくこと。
観光という他所から人を呼んでくる前にその土地の人間がたった1000円の消費を無自覚なものから積極的に地元のものへ振り分けられたらできる小さな経済。いい意味でその程度の経済なら私たちで作れるのではないかと考えていました。
ネットで世界中のどんなものも手に入る時代だからこそ足元のものをきちんと選ぶことにも時間を使う。顔も知らない他者の評価で星が並んだ商品よりも手にとって触って自分だけの「あ、なんかいいな」を信じて選ぶこと。
私たちの今日使える1000円を価値の小さなものにしないこと。私の店にお金を使ってくれる人にお金を払いたい。

鹿野の週末だけのまちのみせとは違って鳥の劇場のような街の核となるスポットがないからそこに訪れる理由づくりみたいなこれからの工夫がいるけれど用瀬の風景、家々や古びた店の佇まい、流れる水の綺麗さ、少し入り組んでいて坂道と階段と石畳とを歩く音の感じられる街。華美でないまま残っていってほしい街を引き継いで残していくのは誰だろう。ステキな街。

先日、トットリノススメ「夕方トークふたたび」の話の中で、(デパートは客を待っていた、ショッピングセンターは行きやすくしてくれた、コンビニはすぐそこに店を構えてくれて、アマゾンは玄関先にまでやってきてくれるようになった)というような話があって、「うん、それ便利」とか時代は変わったよね的なことではなくて、「なんか嫌だな」と正直思った。買ってもらうための仕掛けが強烈すぎて辟易しているのは私だけなのだろうか...商品を磨くことと、売る仕掛けを磨くことと、一生懸命なのはどちらだろうかと。

送られてくる荷物から取り出される商品からでは誰が作っているのか、ましてやどうやって作っているのかが見えてこない。...ともすれば人が作っているということすら気が付かないかも知れない。
そういう購買ばかり見慣れた子供達は対面で物を買うことを学ぶ機会がなくなってしまう...などとも考えてしまいました。
こちらの玄関先ではなく、あちらの店先で物を買う、まず人が動く、そしてお金を動かす、街が生きる、みたいなことがあると思っていて、そういう購買活動が減っているとしたらなんか寂しい。
作り手から買うことができる場所を街に取り戻すこと。近年、林立するマルシェ系イベントは次の段階へ移行するときでもあるなと感じました。
ポップアップショップから継続させる店へ。小商いのたくさん成り立つ街であったなら素敵な風景だなと思います。作り手、売り手が負けないこと、こだわりを安売りしないこと。受け手、買い手がその価値に気付いて活かすこと、生かされること。

11月13日 22:08
昨日の投稿に対してたくさんリアクションいただき嬉しいというか少々驚いています。
決して雰囲気でいいねするような内容ではなかったので皆さんきちんと読んでのことだと思うとあれだけのリアクションがあったことにはちょっとわくわくすらしました。
昨日の投稿では言葉が足りない部分も多々あろうと思います。理想だけでは動いていかない物事もあるでしょう。でもこの時代に生き、次の時代にも我々の痕跡が良くも悪くも残ってしまうことを知る人はできるなら明るい方を見て歩きたい。ただ今だけの明るさではなくて、次の時代を闇にしないために暗がりに耐えることも含めて。そして灯すべき明かりを探すような。その術が手に届かないような絵空事ではなく、今日の1000円をどう使うのかという単純なものとして捉えられたとき、それは僕らの手中にある選択肢として見えてくるのではないでしょうか。

投票行動に宝くじ的な期待を込めるより、日々の消費行動の中で清き一票を入れていくこと。しかも一票でなくても可処分所得の範囲内で何票でも入れられる。投票先も1つに絞らなくてもいい!この価値をもっと感じてほしい。あなたを決して豊かにしないものに安易に投票してしまわぬように...

まとまらない想いを重くする前に少しでも伝わればと言葉続けます。

これは私の実体験というか実感を持った感想ですが....
街を彩る人々を、小さくとも信念を持って動き始めた人を、ときに嵐が襲うことがあります。
否定的な言葉だけを残して立ち去る人が昔からいて、せめて一杯コーヒー飲んでから言え、とセリフを用意しているのですがその人はもう来ない。
そういった類の何気ない言葉にタイミング悪く動きを鈍らせてしまうことがある。だって我々はそれぞれにひとりだから。
継続性や売り上げの規模もまだ見込めないタイミングに、要は芽を出したときにこの嵐は辛い。
そんなことでめげてはならないとわかってはいても...
そんなとき同じように小さな芽を出し育っている人々を知る、互いに少なくても何気なくても言葉を掛け合い恥ずかしそうに手をつなぐ。そっと。
二人が三人に、やがて十人くらいにぼんやり増えたころにハッと気付く。内側を向いて手を繋いでしまってないか、と。守ろう守ろうと、嵐ばかりを怖がるように。視野狭く、耳を塞いでなんかいたら聞こえたはずの仲間に入れても聞き取れない。美味しいねの言葉すら届かない。
そこからはいったん繋いだ手を離し、各々がもう一度足場を確認してから今度は外を向いてそっと手を繋ぎ直す。背中に仲間の気配を感じながら一歩外へ歩みを進める。だんだん右手も左手も手が離れそうになる。そこへまた誰かをそっとお招きして輪に加える。そうしてできた輪の内側のことを街と呼ぶことにしよう。
他者の灯そうとする火に勇気をもらいながらこちらでもあちらでもマッチをする音がしている。

私もマッチをすろうかな、誰かの灯そうとするマッチの風除けになろうかな、薪を運ぼうか、
もし何かお力添えいただけるのであれば嬉しく思います。
これはもちろん比喩ですが、直接的に言えば、「来店」と「購入」が何よりです!
お待ちしております。

2017年11月 これまで街のイベントに出店したり、お客として足を運んだりしてぼんやり感じたこと、そこから持ち帰り街について考えたこと、売り手と買い手のありようについてをまとまらないながらにfacebookページに掲載した。思いの外、共感の声をいただいてひとりよがりな感情ではないのかも知れないなと思ったので、流れ去るfacebookのタイムラインからすくい上げこちらにアーカイブしておこうと思います。

*継続して考えていきたいことなので随時、追記していくつもりです。

​街のこと、とタイトルしましたが、これは私たち自身の話です。

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